カップ麺ができるまで待ってる間に読んでほしいブログ ~Abbeyの御法度ダイアリー~

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5分でわかる黒船来航 ~幕末開幕の出来事~

みなさん、こんにちは。鉄砲より刀好き、Abbeyです。

 

 

やって参りました。5分でわかる~のコーナー。

 

今回はこの出来事。



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はい。

幕末最初の事件といわれる黒船来航です。

 

ハリウッド的にざっくり言えば、

異星人が地球に攻めてきた、そんな感じのスペクタクルな出来事です。

 

そんな黒船来航について5分で纏めてみました。

 

もくじ。

 

 

黒船が来た ~カイコクシテクダサイ~

時は1853年(嘉永6年)。

江戸時代後期徳川13代将軍である徳川家慶が治めてきた江戸幕府

江戸の人は皆こう思っていました。

"江戸はとても平和。徳川さまが主体となって、このまま日本はお侍さんたちの国になるんだろうな。"

そうお団子食べながら思っていました。

 

そんな折、遠い遠い海の向こうから遥々とやって来ました。

この人。



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 みんなご存知ペリーさん

大海原を越えアメリカから江戸湾浦賀にやってきました。

東インド艦隊司令長官マシューペリー提督。

黒船艦隊を4隻率いてやって来ました。 

 

 

 
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"カイコクシテクダサーイ"

なんか言ってます。当時のお侍さんたち頭キョトン。

 

 

"天狗じゃ、天狗が来よった…。"

鼻が高い人はみんな天狗だと思ってたお侍さんたちは大騒ぎ。

 

カイコク=開国とは。文字通り日本を異国に対して開くこと。

当時日本は鎖国という制度を敷いていた鎖国国家だったのです。

 

 

鎖国の経緯 ~島原天草一揆

ここは1637年(寛永14年)、黒船来航より200年程前の江戸時代初期。


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日本のキリシタンが数多く集まってた島原(長崎県)・天草(熊本県)地方。

 

当時幕府は異国からやって来たキリスト教悪魔の教えと考え、禁教令を出しキリシタンを厳しく弾圧していました。

"異国人であろうと日本人であろうと、キリシタンは全員滅ぼします。"

しかしキリシタンたちは強く反発します。

 

 
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"キリスト様や母なるマリア様を侮辱するのは許さない!"

そんなときにキリシタンたちが徳川幕府に対して起こした一揆

 

島原・天草一揆です

 
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神の子と言われた天草四郎を筆頭に、島原・天草地方を戦地とし幕府軍と戦います。

 

幕府軍13万対キリシタン軍4万。

母なるマリア様の御加護もありましたが、4ヶ月の激しい戦いの末、遂にキリシタン軍は全滅します。

しかし幕府軍も死傷者を8000人以上出す手痛い損害。

 

幕府は本格的にキリシタン、取り分け異国の文化を恐れ始めます。

このままでは幕府にとって脅威になりうる。

 

 

事態を重くみた3代将軍徳川家光

 

"キリシタンやべぇよ…。"

そしてついにやりました。


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そう、1614年(寛永18)、鎖国です。

 

つまり、日本はもう異国との交流はしません。干渉もしません。

まして異国人は日本には一人たりともいれません。異国人は幕府にとって脅威になりうるから。

だからほっといてちょ。

っていうのが鎖国です。

 

後に1825年(文政8年)、江戸時代中期、11代将軍徳川家斉により異国船打ち払い令が出されます。

つまり日本に近寄る異国船は全て打ち払う。

インベーダーゲームかよ。ここまで日本は過激に閉鎖的になりました。

 

日本が鎖国国家になる、そんな経緯でした。

 

日米和親条約と開国 ~ペリーさんなぜ来たの~

話を黒船が来た直後、1853年に戻します。

 

 


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"カイコクシテクダサーイ"

まだ言ってます。

 

 

ペリーが日本に対して要求してきたのは2つ。

  • 日本はアメリカと日米和親条約を結ぶこと。
  • 日本はアメリカに対して開国すること。

 

そもそもペリーさん、なぜこんな無茶ぶりをしにわざわざ日本にやって来たのか。

 


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当時アメリカは、清国(中国)を初めとした東アジア諸国との大事な貿易ビジネスを抱えていました。

 

しかし東アジアはアメリカからとてつもなく遠い。近くに休める場所や船の物資を補給出来る場所が欲しい。

 

そんなとき、アメリカは東アジアに向かう海路、太平洋航路上のとある小さな島国に目を付けました。

 

 

そう、日本です。

 

 

アメリカは清国や東アジア諸国との貿易ビジネスの貿易拠点にするべく、日本を開国させたかったのです。

 

ペリーさん、アメリカ大統領ミラード・フィルモアの親書を預り大事な任務のため日本にやって来たとさ。

 

 

 

ここで日米和親条約の条文について詳しく。

  • 日本は下田港、函館港を開港すること。そこでアメリカ船と物資の取引をすること。
  • 下田に総領事館を置くこと。
  • 日本はアメリカに対して片務的最恵国待遇を用いること。

 

最後の片務的最恵国待遇。これがポイントです。

 

まず最恵国待遇とは、

他国に与えている最も良い待遇と同じ待遇をその締結国に与えること。

 そして片務的とは

日本がアメリカに対して用いるのみで、アメリカは日本に対して用いません。

ということです。なんじゃこりゃ。

 

当然、日本にとってはデメリット。アメリカにとってのメリットばかりの条約。

いわゆる不平等条約を突きつけてきました。

 

 

鎖国なめんじゃねー ~サムライスピリッツ

異国と不利な条約を結ぶ?

しかも開国?日本は200年以上の鎖国国家だぞ。

 

それをカイコクシテクダサーイ?そんな一言で覆せるか。鼻が高いからってなめんじゃねー。

 

 
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"帰れ!天狗野郎!ついでにバーカ!"

 

お侍さんたち意気揚々と笑いながら言いました。

 

 

しかしペリーさん。

 

 

 

 


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"カイコクシナイナラ、ニホンホロボシマース"

 

 

 

そう、話が通じるタイプじゃなかったんです。ペリーさん。

 

 

砲艦外交 ~カイコクシロ~

そう言うや否や、いきなり黒船艦隊から日本に向かって大砲撃ち込んできたペリーさん。

 

 

 

お侍さんたち、びっくりぽん

 
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"天狗じゃ、なんかめっちゃ強い天狗来ちゃった!"

 

 

条約を結ぼうと思えばそこは閉鎖的な島国。そこでペリーさんは強行手段にでます。

砲艦外交です。

 

圧倒的戦力を持って外交を有利に進める。


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そう、船で脅しに来たんです。

 

 

相手は世界でも最高戦力と言われているアメリカは東インド黒船艦隊。

当時ではかなり珍しい蒸気で動く黒船戦艦。

 

片やこちらは刀社会。刀では戦艦に太刀打ちできる訳がありません。

まともに戦えば日本に勝ち目はありません。

 

不利な条約を突きつけられ、開国もしろと相手はいう。

拒めば戦になるが、黒船なんて作るような国と戦えば日本は滅びます。

 

 

日本大ピンチ。

 

 

開国か攘夷か ~揺れる幕府と日本~

何とかペリーさんから1年猶予を頂いた日本。

 

ペリーさんは

1年後に返答を貰いに戻ってくる。

と言い残し1853年7月、浦賀を去り香港に向かいました。

 

このとき


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"二度と来んじゃねー天狗野郎!"

って陰で侍さんたち、黒船に聞こえないように叫んでたでしょうね。

 

 

1853年~1854年、この1年日本は揺れに揺れました。


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一件の責任者である幕府の老中、阿部正弘は幕府の大名から江戸の庶民まで、色んな人に意見を募ります。普通国政には徳川ゆかりのものしか口出しできません。このときばかりは藁にもすがる思いだったんでしょうね。

 

このとき、

"200年も鎖国してたせいで日本は世界から遅れを取った"

異国との文明レベルの差を痛感し、異国の文化を取り入れていくべきと主張した

異国賛成派 "開国派"

 

そして、

"200年も守られてきた神聖な国日本を異国人に汚されるわけにはいかない"

異国はあくまで敵であり、日本は日本の手で守っていくべきと主張した

異国反対派 "攘夷派"

 

 

開国か攘夷か。

大きく分けて

日本はこの2つに別れます。

 

 

そしてこんなめっちゃ忙しい中、悲劇が起こります。


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ペリーが浦賀を去ってから10日後。

12代将軍徳川家慶が亡くなります。

国のトップがこんな時に亡くなる。不運続きです。

 

幕府や国があーしよこーしよ言い合い、早半年。

1854年2月。

 

 

 

 

 

 

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何と半年フライングして江戸湾浦賀にカムバックして来ました。

せっかちペリーさん。

 

 

迫られる決断 ~開国へ~

なぜ半年フライングしてやって来たのかペリーさん。

 

それは、香港で12代将軍徳川家慶の訃報を聞きつけ

日本が揺れている今が好機!

そう思い再び日本に向かい舵を取ります。

 

黒船艦隊にあれよあれよと江戸湾の台場を突破され、ついに。


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再び浦賀に現れました。

さりげなく前回より5隻増えた9隻で。黒船艦隊。

 


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"カイコクシテクダサイ …ハヤクシロヨ"

 

 

国政の隙を突きついに決断を迫る状況まで追い込みました。ペリー提督。

外交の腕は立つようです。伊達に開国してください、開国してください言ってるわけではなかったみたいです。

 

 

幕府は大いに焦りました。

そしていよいよ日本は決断を迫られます。

 

 

 

恭順か戦か。

 

開国か攘夷か。

 

 

はたして…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幕府、けっこうあっさりと開国しました。

 


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1ヶ月に渡るアメリカとの協議の結果

アメリカの開国要求を受け入れます。 

ついでに日米和親条約も締結します。

 

 


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"ヤッタネ"

 ペリーさんたち意気揚々と帰ります。


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スターズ&ストライプスをドヤ顔でたなびかせて。

 

 

 

日本は開国しました。

ここに、3代将軍徳川家光以来200年続いた鎖国国家は崩壊し、日本はいよいよ異国に対しての門を開きました。

 

同時に、徳川幕府の権威は揺らぎ始めます。

 

尊皇攘夷派 ~幕府ぶっ潰す~

いよいよ日本は開国しました。

開国派は大仕事をした気分。

 

当然攘夷派は納得いきません。

 

ただ、幕府の攘夷派はこの状況、やむを得なかったと理解した人もいました。

 

 

しかし、江戸の遥か西、京(京都)にそうはならないよという強者たちがいました。

 

 

 

京は朝廷


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ここに帝(天皇)という日本の皇帝が住んでいました。

※帝というのは日本の始祖である天照大御神という古代日本の神様の子孫といわれていました。

帝は神の子孫といわれているので、武士である徳川将軍より偉いです。

 

当時の帝は孝明天皇

実は孝明天皇異国人が大っ嫌い。

開国なんかしたくありませんでした。

 

しかし当時の政治は全て征夷大将軍、つまり徳川幕府に委任。

でもこればっかりは納得いきませんでした。

 

 

朝廷の元には帝を崇拝し、帝に同調する尊皇派と呼ばれる人たちが集まっていました。

この人たち、昔から徳川幕府のことを面白く思っていません。

そんな折のこの開国事件。

 

 

"日本は古来から帝が治めてきた神聖な国!異国人に汚されるわけにはいかない!" 

こう思います。ついでに

"帝の意向をないがしろにし勝手に開国した幕府、許さない!"

そう思います。ついには

"異国に対して弱気の徳川幕府はもういらない!今こそ朝廷が政治の舵を取り戻すとき!"

そう主張しました。

 

 

幕府を嫌い帝を崇拝し(尊皇)

異国を嫌う(攘夷)

合わせて尊皇攘夷という過激派組織が生まれ、京を中心に集います。

 


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 錦の御旗のもとに。

 

 

幕府の攘夷派との違いは

佐幕(幕府を補佐)攘夷派

尊皇(帝を崇拝)攘夷派

この違いです。

 

 

しかし今はまだ武士の時代、尊皇攘夷派は少数派です。

しかしこの尊皇攘夷派、

実は徳川幕府をこれから先、脅かすことになるとてつもない組織になっていきます。

それはまた別のお話。

 

時代は幕末 ~動乱の時代へ~

そんなこんなで開国した日本。

 


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徳川幕府は260年続いてきた支配に陰りを見せ始めます。

 

この時代には色々な考えの人がいました。

 

  • 異国の文化を受け入れようとする開国派
  • 異国の文化を排斥する攘夷派

 

それと同時に

 

 

他にも尊皇攘夷公武合体

 

更にはこの時点で既に日本国内の事ではなく、世界に目を向け、日本を異国と肩を並べる国家に変えてやると決意した若者も…

 
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日本は黒船来航以降、様々な思想を持った人たちが現れます。

そしてその人たちは、江戸、京を中心に動乱を繰り広げていきます。

 

 

 

黒船来航から徳川幕府の崩壊までの時代、

強いては鎌倉時代から江戸時代まで、600年続いてきた武家社会の終焉の時代。

 

そのきっかけとなる出来事が

黒船来航です。

 

 

 

そこから始まるこの時代のことを総じて

幕末と呼びます。

 

 そしてその時代にそれぞれの志を持ち、日本のために戦った志士たちのことを

幕末志士と呼びます。

 

 

世はまさに大幕末志士時代

ひとつなぎの何かを求めて。

 

 

まとめ ~黒船来航~

如何でしたでしょうか。黒船来航。

 

 

言いたいことは

 

 


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たかがペリー、されどペリー。

 

これです。

 

 

ペリーさんがアメリカからはるばる日本にやってこなかったら、日本はまだお侍さんの国だったかもしれませんね。

 

 

 

 画像引用 Wikipediaより