カップ麺ができるまで待ってる間に読んでほしいブログ ~Abbeyの御法度ダイアリー~

頭ほんわかぱっぱーなやつの書くブログです。少しでもかまってくれるとかたじけのうござる。

5分でわかる井伊直弼 ~ジャイアン精神~

こんばんは。事はけっこう衝動的に起こす方、Abbeyです。

 

 

今回取り上げるのはこの人。


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はい。

幕末、江戸幕府大老井伊直弼

 

 

この人。

人によっては

"歴史上、こんなに悪いやつ他にはいない!"

という声もあれば

 

"歴史上、こんなに有能な人物他にはいない!"

という声もある、

 

まさに賛否両論のお手本のような人物です。

そんな井伊直弼、5分でざっくりと見てみましょう。

 

もくじ。

 

幕末、異国の脅威に揺れた江戸幕府 ~黒船来航からの開国~

時は1853年、12代将軍徳川家慶が治めていた江戸時代

まず、このときの江戸幕府の様子からご紹介。

 

200年前から鎖国国家だった日本。

そんな平和だった日本に、アメリカから黒船と呼ばれる戦艦江戸湾浦賀にやって来ました。


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"なに、あいつら…?"

 


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"カイコクシテクダサイ"

 この人。ペリー提督を筆頭に。

 

彼らは突如江戸に現れ、

日本に対して日米和親条約を結び、そして開国しろ言ってきました。

 

結ばなければ日本を攻めると脅し。

 

黒船来航について詳しくはこちら

5分でわかる黒船来航 ~幕末開幕の出来事~ - カップ麺ができるまで待ってる間に読んでほしいブログ ~Abbeyの御法度ダイアリー~

 


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これには幕府の責任者、阿部正弘もお手上げ。

 

 

しかしここで初登場します。



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はい。譜代大名井伊直弼です。

 

彼は阿部正弘にこう進言します

"今はアメリカの方が日本より強いし、争ってもしょうがない。ここは、条約を締結し事を穏便に済ませよう。

そして異国の文化を学ぶべきですよ。"

 

追い込まれた徳川幕府は条約をやむなく締結。

200年以上続いた鎖国を解き、ついに開国します。

 

江戸幕府が抱えていた将軍継嗣問題 ~跡継ぎがいない~ 

当時の井伊直弼彦根藩の藩主で徳川幕府譜代大名でした。

現代的に言えば部長ってところですね。

 

井伊直弼は、初代将軍徳川家康の時代、最も側で仕えてきた家臣である井伊直政の直系の子孫。


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そんなこともあり、子供の頃から英才教育を受け、またかなりの努力家でもあり、ついに彦根藩の代表として江戸にやって来ました。

 

 

黒船来航の前後、実はこのときの江戸幕府ある大きな問題を抱えていました。

 

12代将軍徳川家慶が亡くなり、すぐに将軍の座に就いた13代将軍徳川家定

 
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実はこの家定。

身体が病弱気質(今で言う脳性麻痺)で、政務がまともに行えない状態でした。

黒船来航の動乱もあり、就任してから既に廃人状態。そして子供もいません。

 

つまり跡取りである14代目がいなかったのです。

このままでは徳川幕府は13代でフィニッシュですの危機が。

 

 

そこで幕府の役人たち考えました。

 
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徳川将軍家の跡取りがいなくなった!そんなときのためにいる、徳川御三家徳川御三卿から養子を将軍家に貰おう!

 

そしてその養子を次期14代将軍にしよう!

と。

 

 

候補はたくさんいるぞ!

 

 

 

…じゃあ誰にする?

 

 

そう、肝心のそこが決まらないんです。いつの時代もそんなもんですよね。 

 

 

一橋か南紀か ~揉める2大派閥~

長い話し合いの末、14代将軍候補は最終的にこの2人に絞られます。

 

一人目は

井伊直弼らが支持する紀州徳川家から成る

南紀の人たちが推した


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紀州藩主 徳川慶福

(後の徳川14代将軍 徳川家茂)。

この人は当時7歳で幼いが家定の従兄弟なので血は近い。

 

二人目は

水戸藩主、徳川斉昭らが支持する一橋徳川家から成る

一橋派の人たちが推した


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一橋家当主 一橋慶喜

(後の徳川15代将軍)。

この人は当時17歳で英明だが家定の血から遠い。

 

サラッとネタバレ書きましたが次期14代目はこの2人に絞られました。

 

 

しかしここから長く揉めに揉めた将軍後継者問題、終着点が見えません。

 

特に
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南紀派代表井伊直弼と、


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 一橋派代表徳川斉昭

 

この二人の政争は激しさを増していきます。

 

 

そこで、やつは先手を打ちます。

井伊直弼です。

 

 

井伊直弼、そそのかしの達人 ~大老就任へ~

井伊直弼、黒船来航の動乱から既に廃人同然だった将軍家定にこうそそのかします。

 


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"一橋橋派の連中が家定様を幽閉なさるおつもりですぞ。"

 

政務もまともに出来ない家定に痺れを切らした一橋派が、推挙している一橋慶喜を将軍に据えるため強行手段に出ると、本当か嘘かわからないけどそう理由をつけて。

 

 


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"マジで?"

 

家定さん、ビビって

"わしはどうすればよいのじゃ。"

そう尋ねます。

 

 

 

すると井伊直弼

 


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"私を大老の役に就けさせて頂けたならば殿を御守り致します。"

 

この図々しさ、我々現代人は見習うべきかもしれませんね。

 

 

大老とは、幕府の執権者のことです。

つまり幕府の中で将軍の次に偉いNo.2のことです。

 

 

家定、すぐに井伊直弼大老に就任させるとお触れを出します。

 

井伊直弼は実質上ここから、徳川幕府の支配者となります。

現代的に言えば社長。

 

南紀派代表である井伊直弼大老となったことで、水戸藩初め徳川斉昭を代表とする一橋派は幕府内での勢力を弱めます。

 

 

そしていよいよ暗黒時代の始まり。

 

 

締結か否か ~異国の脅威~

大老となった井伊直弼、幕府の中で前々から話し合っていた

アメリカとの新たな条約の話を進めます。

 

 
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幕府は黒船来航の一件以来、異国との力の差を感じていました。

 

そこで幕府では、日本を強化するためにアメリカとの新しい条約を締結すべきか否か、連日の話し合い。

大老となり主導権を握った井伊直弼はその新たな条約を締結しようとします。

 

井伊大老がそう言うんだからもう締結だろ。そんなムードが江戸に漂います。

 

 

しかし大きな問題が。


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当時、京の朝廷の孝明天皇は異国が大っ嫌い。

 

日米和親条約を結んだ最中、また更に異国と新たな条約を結ぶなんてもっての他。

尊皇(帝を敬う勢力)派含めて大反対します。

 

世の政治を朝廷から委任されていたのは徳川幕府

とは言えさすがに朝廷の意向は踏みにじらないだろう。

みんなそう思っていました。

 

 

場所は変わり下田のアメリカ総領事館


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ここに、ハリスという人が駐在していました。アメリカの外交官です。

このひとがその新たな条約を日本と結ばせたがっていました。

 

ハリス、こう幕府に対して呟きます。


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"徳川幕府さん、アメリカと新しい条約を結んで日本もっと強くしようよ。日本もっと強くならないと清国みたいにイギリスに乗っ取られちゃうよ。

だからアメリカと契約しましょ。"

 

 

"…もちろんアメリカに有利な条約だけどね。"

 

また脅してきます。

 

 

でも確かに理にかなってる。今日本はイギリスなどに攻められたらまた黒船来航の時の様になる。ましてや今度は滅びるかも。

 


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"でも朝廷がダメっていってるよ。" 

京の尊皇攘夷派など、反対派の意見。

 

 

しかし、なんと大老井伊直弼

 

 

 


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"条約結びましょ♪"

 

反対派の意見を抑え込み、アメリカとの新たな条約にGOサインを出します。

 

見方によれば朝廷をシカトしました。

やりたい放題です。

 

締結したのは日米修好通商条約

 

 

日米修好通商条約 ~条約の内容とは~

1858年(安政5年)、江戸幕府はアメリカと条約を結びました。

日米修好通商条約です。

 

この日米修好通商条約、簡単にはこんな感じ。

  • 函館、新潟、長崎、神奈川、兵庫の五港を開港すること。
  • 関税自主権はアメリカが持つこと。
  • 日本はアメリカに治外法権を認めさせること。

 

ざっくりこんな感じです。

しかし問題が。

 

 

この条約、日米和親条約に続き、またも日本にとっても不利な条約だったのです。

当然ですね、アメリカは日本を脅して無理やり条約を結ばせてるのですから。

 

 

問題は最後の治外法権を認めさせること。この一文ですね。

 

治外法権、つまり

アメリカ人が日本で犯罪を犯しても、日本では裁けない。ということです。

 

例えばファンキーなアメリカ人が日本でお侍さんをピストルで撃って、万が一殺してしまったとします。

しかし、そのファンキーなアメリカ人のことは日本では裁けず、アメリカに帰国させてからでないと裁けないのです。

そしてアメリカ次第でそのファンキーなアメリカ人の処遇が決まるので、どうとでもなるのです。無罪放免なんてことも。

 

 

下手すりゃ日本が異国人に乗っ取られてしまうかもしれないトンデモ条約。しかし井伊直弼は敢えて条約を締結しました。

そんなリスクを犯しても井伊直弼は外国の文化を取り入れていくことを選択しました。

 

結果的には日本をアメリカや、それが事実であればイギリスなど欧米諸国からも一時的に守りました。

 

そして日本が世界と肩を並べる第一歩とします。

 

 

止まらない井伊直弼 ~江戸から京まで大バッシング~

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当然こんな条約、幕府の中の佐幕攘夷(異国嫌い)派、尊皇派含め大反対します。

 

見方によれば日本を異国に売り飛ばすような条約、彼らには納得いきません。

しかし時既におすし。

 

 

これに尊皇派

"井伊は朝廷の意向を踏みにじった!"

"そんな徳川幕府はもういらない!"

 

ここから幕府を嫌い異国も嫌う

尊皇攘夷が盛んになります。

 


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この一件に帝は、井伊直弼に京に来て直接説明するよう要求します。

 

 


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しかし直弼これをシカトします。

 

この行動に尊皇攘夷派の井伊直弼徳川幕府に対してのフラストレーションはピークに。

 

 

そして、日米修好条約を結んだ直後、


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13代将軍徳川家定


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井伊直弼が推挙していた南紀派出身である

徳川家茂14代将軍継嗣にするという意向を幕府に伝えます。

 

同時に南紀派の対抗勢力であった一橋派勢力の諸大名を処分することも発表します。

 

 

この一連の発表が井伊直弼の触れ込みだったかそうでなかったのかはわかりません。

しかし、これが徳川家定が将軍として執った将軍らしい唯一の行動でした。

 

徳川家定は一橋派処分を発表した次の日に亡くなります。

 

 

そんななか、幕府内のアンチ井伊直弼の方々

 
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"直弼が大老になって最近調子に乗ってる!"

"14代将軍も勝手に決められたし幕府と朝廷との関係も悪化させるし…"

 

特に幕府内の井伊直弼アンチ勢力筆頭


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井伊直弼を代表とした南紀派に将軍継嗣問題で敗れて以降、立場を弱めていた一橋派の代表、徳川斉昭

この機会を好機と見ました。

 

"朝廷を蔑ろにする井伊直弼は既に国賊!

ここは朝廷に助けを求めよう!"

 

徳川斉昭初めとした一橋派をはじめとする水戸藩は朝廷から戊午の密勅を得ます。

これは朝廷が幕府の政治を非難するというもの。

当時では前代未聞です。

 

 

しかし。

 

 


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大老にバレました。そして激オコ。

 

 

安政の大獄 ~お前のものは俺のもの精神~

井伊直弼、幕府内の朝廷への密勅に関与した者、主に一橋派や水戸藩を捕らえます。

 

 

そもそも戊午の密勅。何がまずかったのか。

それは、

朝廷が幕府政治を非難する文を、幕府を介さず、将軍の臣下である水戸藩に渡したことです。

幕府と朝廷との政治についてのやり取りに、諸藩が関わることは禁じられていました。

 

つまり幕府が蔑ろにされたということです。

 

事態を重くみた井伊直弼初め幕府の役人は関与したものを江戸から永久追放。

一橋派は遂に江戸から姿を消します。

 

 

更に井伊直弼、恐ろしい手段に出ます。

 

尊皇攘夷派を初めとした、日本各地の倒幕の思想を持った者たちを弾圧します。

それだけでなく、

一連の井伊直弼の行動に反対する者たちも弾圧します。

 
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そのなかにはこのひと、


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松下村塾吉田松陰

後に幕末で大きく活躍することになる志士たちの先生です。

危険な思想を持った人物として幕府によって捕らえられ、処刑されてしまいます。

 

 

 捕縛され、罰せられ、処刑された人物は述べ100人以上。

 

 

 
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逆らうやつは、全員ぶっ飛ばす。 まさにジャイアンスピリット。

 

 

一橋派の江戸幕府追放、水戸藩への圧力、そして尊皇攘夷派や倒幕、幕府批判の思想を持った志士たちの処刑、弾圧の出来事を

 

1858年(安政5年)、井伊直弼の代名詞、安政の大獄と呼びます。

 

 

更に井伊直弼水戸藩

朝廷の密勅書を渡すよう強く弾圧します。

それでもアンチ井伊直弼水戸藩は絶対に渡したくありません。

 

 

 

大老井伊直弼の独裁政治が決して許せない水戸藩士たち、ある大きな決意をします。

 

 

雪の日、桜田門外の変 ~天地ひっくり返る~

1860年(安政7年)、冬の雪も降りしきる早朝。

 

井伊直弼彦根藩邸から江戸城に登城するため駕籠に乗り50名の家来を引き連れ藩邸を出発しました。

 

向かう先は桜田門

彦根藩邸から桜田門までは僅か600メートル。

 

行列が桜田門に差し掛かったとき。

1発の鉄砲の音が鳴り響きました。

 
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それを合図に、18人の侍が行列の駕籠目掛け襲撃します。

 
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その侍たちは水戸脱藩浪士。 井伊直弼の政治に不満を持った、元水戸藩の志士たちでした。

水戸藩に迷惑はかけまいと、脱藩してから計画を実行します。

 


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井伊直弼は合図のピストルで被弾します。

既に動けない状態。

 

護衛の武士たちも突然の事態に雪のせいもあり、刀を布でくるんでいたのでなかなか刀を抜刀出来ません。

応戦する者、逃亡する者、戦地は入り乱れ。

 

 

 

やがて、護る者のいなくなった駕籠に襲撃者たちの刀が次々と突き立てられます。

 

 

駕籠から引きずり出された井伊直弼

息も絶え絶えの中、そこに一太刀。

 

 

こうして井伊直弼は46年の波乱の生涯に幕を閉じました。

 

 

悲しいことか、水戸脱藩浪士たちはその後全員その場で自害しました。

 

 

見物人によれば一連の襲撃、

煙草二服ばかり、10分の間の出来事だったと言う、

桜田門外の変でした。

 

 

井伊直弼とは日本にとって何者だったのか ~善か悪か~

 彼の辞世の句です。


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"あふみの海の 磯うつ浪の いく度か 

御世に心を くだきぬるかな"

 

これは

おおきなことをやりとげました。

この後どんなことがあってもそれに向かっていこう

 

安政の大獄が一段落した後に唄った句です。

自身のこれからの運命を察してたんですね。

 

 

 

大老である井伊直弼が脱藩浪士に襲撃され亡くなったことで江戸幕府の威信は一気に落ちます。

 

そして何の因果でしょう、安政の大獄で亡くなった吉田松陰の遺された教え子達が後に江戸幕府にとって強大な敵となっていきます。

 

 この桜田門外の変徳川幕府崩壊のきっかけといっても過言ではないですね。

 

 

 

日本を護るために、強くするために異国と交渉をした。

そのとき自分にとっての邪魔者は全て排除した。

 

井伊直弼はそのやり方からとても賛否両論の別れる人物です。

 

しかし、過激ではあったけど、日本の将来の事を孤独にとても憂いていた人物だったとも思います。

 

 

激動のこの時代に少しだけ先の未来を見てた武士。

 

あなたはこの井伊直弼、どう見ますか。

 

 

 

画像引用 Wikipediaより