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カップ麺ができるまで待ってる間に読んでほしいブログ ~Abbeyの御法度ダイアリー~

頭ほんわかぱっぱーなやつの書くブログです。少しでもかまってくれるとかたじけのうござる。

5分でわかる日本三大悪人の一人、平将門 ~首飛武士~

みなさんこんばんわ。飲み会の次の日の朝むち打ちになってる確率80%のAbbeyです。

 

 

さて、今回は少しとんでもオカルト話をしたいと思います。

注目するのはこの人。

 
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みなさん御存知でしょうか?

日本三大悪人の一人、平将門です。

 

今日は遥か昔平安時代にご活躍された平将門さんの悪事とその後起こった怖い怖いお話をご紹介します。ちょっとでもぶるってくれたら嬉しいでござる。

 

 

もくじ。

 

 

平将門平安時代DQN

時は西暦900年代の平安時代

当時、日本は京の朝廷が中心となって治められていました。

 

朝廷のを中心に、その周りを固めていたのは貴族である藤原氏

そしてその貴族の護衛をしていたのが各地の武士でした。そもそも武士というものの始まりは貴族の護衛職から始まったものです。


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こんな感じ。

 

京都を治めていた朝廷さん、全国各地も泰平にしたいと考えます。しかしさすがに手がまわらない。

そこで、地方各地の豪族と呼ばれる武士に"国司"として国を治めさせようと考えます。

 

そんなときに下総地方(千葉県)を統治するよう朝廷から委任されたのが有力豪族である平一族の、平良将

そんな良将の子供が


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平安時代DQNこと平将門です。

見てくださいこのイカツイ顔。

 

935年、平将門は京に登り藤原忠平のもと、武士として働いていました。

しかしそんな折、突如下総地方を治めていた父、平良将が亡くなります。

将門は下総に帰郷します。

 
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"よし、下総の国司を相続するか。"

そう思っていた将門さん。

しかし。

 


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将門の叔父である平国香が勝手に下総地方の国司を相続していました。

早い者勝ちなんですかね。

 


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そこで将門、国香を殺します。

さっきから怒濤の展開ですね。

 

 

この出来事に朝廷は焦ります。


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"あいつ叔父殺すとかやべぇだろ…"

 

藤原 "それに朝廷の部下の国司を殺すのはもう朝廷の敵でしょ"

 

帝、藤原 "よし、将門殺ろう!"

 

そこで朝廷は下総に兵士を送り込みます。


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しかし将門はこれに火を吹き返り討ちにします。

朝廷の兵に手を出してしまったDQN将門。

遂には朝廷の敵、朝敵となります。

 

 

平将門新皇になりたい~

朝敵となりいよいよ日本全国を敵に回した将門。

 

遂に開き直ったのか、関東各地の国府を攻め込み滅ぼして、関東地方全土を手中にします。

 

そこで将門


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関東に独立国家を形成し、自らを"新皇(新しい天皇)"と称し、京の朝廷に対して宣戦布告します。

マジぱないっすね。

 

この朝廷に対し宣戦布告し、平将門が独立政権を築こうとした、一連のクーデターを"平将門の乱"と呼びます。

こうして平将門は晴れて日本三大悪人に名を刻みます。まさかどご乱心。

 

 

遂には朝廷、本格的に将門討伐に乗り出ます。

そして940年、平将門は叔父である平国香の子である平貞盛によって討ち取られます。


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因みに将門を討ち取った平貞盛、後に武家社会の礎を造り上げる平清盛の祖先です。

 

遂に将門は討ち取られ、こうして世を大いに揺るがした平将門の乱は終わります。

 

 

しかしここで終わらないのが日本三大悪人平将門。いよいよ本題です。

 

 

◆首が飛んだ ~???~

大罪人である平将門の首は京の七条河原に送られそこで晒されます。

 

だが平将門ここで伝説を遺します。

 

 

以下Wikipediaより引用。

言い伝えでは討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何ヶ月たっても眼を見開き、歯ぎしりしているかのようだったといわれている。ある時、歌人の藤六左近がそれを見て歌を詠むと、将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯(からだ)つけて一戦(いく)させん。俺の胴はどこだ」と言った。声は毎夜響いたという。そして、ある夜、首が胴体を求めて白光を放って東の方へ飛んでいったと言い伝えられ、頸塚は京都にはない。その武勇は死んだ後まで洛中を震え上がらせたという。

 

Wikipedia より

 

 

 

 

 

 

 

 

…え?

 

 

そう、なんと首がフライングします。

 

地面は割れ、雷は落ち、そして将門の首は関東の胴体目掛けて飛んでいきます。



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※あくまでイメージです。自分の画力を呪います。

 

 
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山を越え

 


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海も越え

 

 

戻ってきました。首だけが京から関東に。

バーソロミューくまの能力ですかね。

 

将門の首が落ちたといわれているのが


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こちら。平成現在の東京千代田区大手町。

 

平安時代に将門の首が関東に飛んできて首塚が建てられて以来、

江戸の地ではこの首塚を尊崇したり畏怖したり、一部マニアたちのパワースポットになってしまったそうです。

こちらの首塚、色々逸話があるそうで一部ご紹介を。

 

関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件である。

Wikipediaより

だとさ。

隣接するビルは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」「塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っている」とされることがある。

Wikipediaより

へー。

お笑い芸人の爆笑問題太田光はブレイク前、この首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかったという噂がある。

Wikipediaより

マジか。

 

 

平将門は死して尚伝説を遺しました。

それは平成になった今でも。

 

そんな伝説が数多く伝わる平将門首塚

平安時代から平成になった今、度胸試しにいってみては?

 



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(平将門様、数々の御無礼御許しください。今度御参りに行きまする。)

 

 

 

あでぃおす(@_@)/

 

 

 

画像引用 Wikipediaより